鈴鹿大学同窓会鈴風会

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恩師からのメッセージFROMTEACHER

アーナンダ クマーラ先生

鈴鹿大学在籍期間

Profile
【略歴】
鈴鹿国際大学時代では、助教授、教授、学部長、学長補佐などの他、国際交流センター・シウダック・COCセンターなどの所長を歴任。
設立準備期間を合わせて、退職するまで計20年間鈴鹿市で勤務。現在、スリランカ初の日系の大学のLNBTIの学長、グローバル人材育成教育学会会長、名城大学名誉教授などを務めている。

当時国連職員だった私が、鈴鹿市在住のある知り合いからの誘いを受け、1993年から鈴鹿短期大学に赴任することになった。目的は、1994年鈴鹿市で設立予定だった鈴鹿国際大学(現「鈴鹿大学」)設立準備の手伝いと設立後その大学の教員になるためだった。
思い起こせば、国際関係分野において名の知られる勝田初代学長を含むベテランの教授軍のほかに、比較的に若い年齢で元気な先生方も多数集まり、とても活気のある大学がスタートしたのは今でも忘れられない。1993年に、翌年設立予定の大学の準備活動に携わったことは、これまでの長い人生の大きな出来事であると言わざるを得ない。
その後、第1期生が卒業する1998年で新たに大学院設立の計画にも関わらせて頂いた。このような貴重な経験が出来たからこそ、その後の人生が充実した形で過ごすことが出来た。後には東京工業大学のグローバル人材育成推進に関するコース作りの初期メンバーに加わったり、また名城大学の新設予定の学部の責任者として関わる他その学部設置と同時に初代学部長になったり、さらには母国であるスリランカにおいて初となる日系の大学設立に関わり、その初代学長に就任したりなど、日本滞在のほとんどの期間を高等教育機関作りの人生だったと考えると、そのきっかけを作ってくださった鈴鹿大学には感謝の気持ちでいっぱい。
当時、国際関係の分野が話題を集めていたため、国内外から多くの優秀な学生たちが鈴鹿市に集まってきた。18歳人口はとても多く、どの大学においても入学倍率が高い時期であった当時を思い出すと、若者人口が大幅に減っていく中で、今では多くの大学が学生集めに関して様々な課題に直面するのも仕方がない事だろう。しかしながら、「そこでしか学べない」、「これからの社会に対して必要です」、「ほかではあまり学べない」、「この地域は○○のことは得意である」などの考えを活かした大学作り、コースの編成・再編であれば、そのような学びを求めて学生たちが集ってくることも期待できることであろう。社会人の学び直しの機会提供という側面も忘れてはならない。
さて、鈴鹿国際大学時代の良き思い出では、大学を拠点とした様々な組織作りができたことは印象深い。後に「シウダック」と広く名が知られることになった「鈴鹿国際大学開発と文化研究センター」の発起人の1人だったことや、国際交流センターの所長としての勤務、そして国際交流センターの中にWe Are International (WAI=ワイ)と言う学生クラブの設立などから始まり、国際写真クラブの設置、教職員や留学生らを様々な国際交流活動のために学校や行政、地域社会に派遣する「グローバル・スタディープログラム」の企画立案、「タランガ・フレンドシップ・グループ」(TFG)と言う国際協力に関するNPO法人の設立、JICAの協力隊員制度を応援するための組織「三重県協力隊を育てる会」の設立、各国から集まってきた留学生と地域社会の交流促進のための人気イベントとしての「国際交流フェスタ」の実施、秋の大学祭の一環としての外国社会を紹介するための国際写真展や「セイロン紅茶の喫茶店」、鈴鹿商工会議所の呼びかけにより大学と地域社会の連携の一環としてスタートした地域活性化のためのセイロン瓜プロジェクト、国際的な課題を取り上げた大多数のシンポジウムや公開セミナーの企画立案とその実施、学生主体のシンポジウム企画の支援など、ここでは書き切れない楽しい・・・楽しい思い出がたくさんある。
国際交流クラブの「ワイ」や私の研究室に集まってくる学部生や大学院生とともにこれらの活動を行う中で、彼らの考え方も大きく変わり、立派な大人として成長し続けてきたことが見られ、心の中では嬉涙を流すほどとてもやりがいがあった。
鈴鹿国際大学で立派な国際人になり、国内外で大活躍する学生たちが多くいる。私はLNBTI大学の仕事のため昨年12月からスリランカに引っ越してきたために当時の学生たちとの交流は少なくなったが、それでも仕事のためスリランカまで来てくれた立派な卒業生たちもいる。ある時研究のためにインドを訪問した時に「先生、私もインドに行きたい」と言われてその時に同行した鎌田さんが、今では人材派遣会社パソナのインド支所の副社長であり、昨年12月にスリランカに来られたときにはLNBTI大学まで来てくれて、学生たちに対して立派な英語で講演を行った。又、国際交流クラブ・ワイの中心メンバーの1人だったミャンマーからの留学生のデイシーさんは、現在、日本の多国籍企業のマネージャーとして活躍しており、社長とともにスリランカに来られた時に私の大学を訪ねてきた。また日本で英語教員として大活躍する卒業生や、会社の社長、行政職員、大学教員などもいる。

同窓生・在校生への
メッセージをお願いします

大学教育は時代とともに変化していくべきである。鈴鹿大学も、そのような社会の変化に対応しなから、これからも変わっていくべきだろう。国際大学時代の卒業生たちは、大学で身に付けた知識やノーハウを基に、立派な社会人として国内外で大活躍をしている姿をみると誠に嬉しいばかりである。みなさんも、鈴鹿大学で身につけた知識を活かしてこれからの社会に貢献してください。
私ができることが何かあればいつでも声をおかけください。そして、スリランカに来られたときには、ぜひ私どもの日系の大学にもお越しください。

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